原作と、実写について

まず、言っておかなければならないのは、私は漫画やアニメを原作とするドラマは好きだ。元々漫画が大好きなので、自分の好きなキャラクターやストーリーが実際に動き、そしてそれらが形をなして世に羽ばたいていくのを見て、勝手に我が子の成長を見ているような気分で一喜一憂するのも好きなのかもしれない。

ただ、今回の騒動を見て、あまりにもありえないと思った。

ドラマ化されていく中で、どんなやり取りがなされ、脚本家と原作者がどんな応酬をしたのか、私は知らない。でも、これだけは言える。

「そのドラマは、原作があるからできたんだろう」と。

脚本家は、自身の創造力を目一杯使い、その原作を「ドラマ」として昇華させることに注力する。この時点で、その原作は原作の域を出てしまうのは明らかだ。これを嫌がる原作者もいるし、好きにしてという原作者もまたいるのは確かである。

ただ、今回は原作者が、ドラマの内容が原作から大きく外れることを全く好まなかった。そしてその意図を、脚本家含めドラマの作成陣が悉く無視した。その結果、人が死んだ。

ドラマには、制作に関わる人間の様々な意図や利益が原作に輪をかけて複雑に絡み合っているので、そう簡単に原作通りに出来ないのも理解はできるが、今回のように原作に忠実なドラマを作ることを原作者と約束した上で制作されたものを、原作から逸脱した表現で作り上げるのは、契約違反であり、かつ一種の人権侵害でもあると思う。

小学校の時に習った「人が嫌がることはしない」ということが、大人の世界では時に通用しない、ということを痛感した次第である。

 

時に、私は原作ファンの昨今の実写版に対する「原作への忠実性」を評価する風潮も、実はあまり好きではない。

SNSを見ていると、今の原作ファンは、「その実写版が、どれくらい原作に忠実か」と言うことを重要視しているように思う。これは良いことでもあるが、悪いことでもある。

原作の中では許されていても、実写版では許されない表現があったり、現実にないからCGでしか作ることが出来ないものがあったり。実写版に携わる者は、それらをいかに使わずに原作に寄せるかを考える。もしかしたら、そのシーンは、再現が無理だと判断されたら、実写版では丸ごと切り取られてしまうかもしれない。結果としてその部分だけ切り取ると、それは原作とはかけ離れたものになってしまう。それは、現代の技術上、そして演者が三次元に生きる人間である以上、仕方のないことだ。

きっと実写版を楽しもうとするファンに求められるのは、原作と実写版の間にあるその「違い」を、香って楽しむ寛容さなのではないだろうか。

実写版が原作と全く違うと言って怒って良いのは、原作者だけだ。

 

創作物を生み出す全ての人の権利が、等しく正しく守られる世の中になりますように。