毒親日記-「初めまして」

インターネットの海を漂う情報に溺れている私たちの中で、「毒親」と言う言葉を、今や知らない人はいないのではないだろうか。この言葉が作られたのは1989年だそうだが、この概念が日本のインターネットに浸透してきたのは、だいたいここ数年のことと記憶している。

 

あなたが毒親と聞いて初めに思い浮かぶのは、どんなイメージだろうか?虐待する親?子に依存する親?経済的援助を全くしない親?

それくらいのイメージだったら、残念なことに私の親は全く当てはまらない。きっと、私のブログを読んで「甘えるな」などと言う人もいるだろう。

だがしかし、私の親は、紛れもない「毒親」だったのだ。その記憶を、このブログにほそぼそと書いていこうと思う。

 

実はこの記録は、前に一度、実家を出る前に一冊のノートに細々と書き綴っていたのだが、彼氏と同棲する前に実家を整理していた時に片付けを手伝ってくれていた母に偶然見つかってしまい、燃やされた。

母は青白い顔でそのノートを掴むと庭に出て、庭に置いてある落ち葉を燃やすために使っていた一斗缶に入れ、チャッカマンで火をつけた。私はただボーッとしながら燃えるノートを見つめていたが、そこに悲しさだったり寂しさといったものはなく、「ああ、紙が燃える匂いっていい匂い」としか思わなかった。

ノートが灰になるのをしっかりと見届けた母は、満足げに家に入って行った。

 

 

私が書き綴るのは、あくまで私自身が私の親から摂取した毒についてであり、それはきっと、赤の他人にとっては時には薬になる、むしろ特効薬になるかもしれない。内容としては賛否両論あって然りだと思っている。

 

次の更新分からは、少しずつ、毒親の記憶を書いていく予定である。嫌な記憶であり、早く忘れてしまいたいことも沢山あるが、ここに綴ることで昇華できる気もしている。

 

そして、このブログを読んでくれた人の中には、「筆者は今も毒親に侵され続けているのか」と疑問に思う方もいらっしゃると思う。

安心して欲しい、今私はちゃんと幸せだ。私がどうやって毒親と決別したのかも、きちんと書くので、読者の中でまさに毒親によって自分の人生を奪われかけている人がいれば、参考にしてほしいと思う。

ある一人の無名な女の、毒親に食われかけた数奇な人生について。

最後までお付き合いいただけると幸いです。