頑張れと言う世界で一番無責任な言葉について

私がこれからここに書くことは、世界で最も捻くれている自信がある。

 

あなたは今まで、他人から頑張れと言われて頑張れたことはあるか?

私は一度もない。ないというか、頑張ろうと思ってもその気持ちはその場で静かに燃えた後、時間を置かずに燃え尽きる。その炎というか、威力が長続きしたことが一度もない。

 

頑張れと言う言葉自体が、と言うよりも、頑張れと言われることによって自分とその周辺に起こる変化が大嫌いだ。頑張れと言われた人間は、その目標を達成するために自分を奮い立たせる必要があるし、その周囲の人間は、目標のために頑張る本人を応援するために、色々とお膳立てしなくてはいけない。

 

頑張れと言う人は無責任でいいよね。言うだけ番長、口だけ番長でも許されるんだから。頑張れと言っておけば、相手がコケた時、「声をかけてやった」と言ういかにもお偉い事実だけ残り、お前は応援してた素晴らしい人間として相手の人生史に名を刻むんだもんね。

 

小さい頃、頑張れと言われたことが癪に障りすぎて、ピアノの発表会でわざと間違いを連発した。私を頑張らせるために一生懸命になっている母親の姿をもう見たくなかったからだ。発表の翌週のレッスンで先生に頑張ったねと褒められた時が一番辛かった。嘘をつかないで欲しかった。叱って欲しかった。

またあるときは、遠泳が嫌すぎて、先生に提出した夏休みの作文の宿題に、「もう他人から頑張れと言われたくない」と書いて提出した。赤の他人であるコーチやヘルプでシフトを入れてくれている大学生の熱い「頑張れ」には乗せられなかった。

 

こう言うことを書いていると、お前は甘いとかダメ人間だとか言われそうだが、自分に甘いのの何が悪いんだね。人間、頑張るときは大抵ちゃんと頑張れている。それは他人に言われてじゃなく、ごく自然に出来ているのだ。だから、もうほっておいてほしい。

原作と、実写について

まず、言っておかなければならないのは、私は漫画やアニメを原作とするドラマは好きだ。元々漫画が大好きなので、自分の好きなキャラクターやストーリーが実際に動き、そしてそれらが形をなして世に羽ばたいていくのを見て、勝手に我が子の成長を見ているような気分で一喜一憂するのも好きなのかもしれない。

ただ、今回の騒動を見て、あまりにもありえないと思った。

ドラマ化されていく中で、どんなやり取りがなされ、脚本家と原作者がどんな応酬をしたのか、私は知らない。でも、これだけは言える。

「そのドラマは、原作があるからできたんだろう」と。

脚本家は、自身の創造力を目一杯使い、その原作を「ドラマ」として昇華させることに注力する。この時点で、その原作は原作の域を出てしまうのは明らかだ。これを嫌がる原作者もいるし、好きにしてという原作者もまたいるのは確かである。

ただ、今回は原作者が、ドラマの内容が原作から大きく外れることを全く好まなかった。そしてその意図を、脚本家含めドラマの作成陣が悉く無視した。その結果、人が死んだ。

ドラマには、制作に関わる人間の様々な意図や利益が原作に輪をかけて複雑に絡み合っているので、そう簡単に原作通りに出来ないのも理解はできるが、今回のように原作に忠実なドラマを作ることを原作者と約束した上で制作されたものを、原作から逸脱した表現で作り上げるのは、契約違反であり、かつ一種の人権侵害でもあると思う。

小学校の時に習った「人が嫌がることはしない」ということが、大人の世界では時に通用しない、ということを痛感した次第である。

 

時に、私は原作ファンの昨今の実写版に対する「原作への忠実性」を評価する風潮も、実はあまり好きではない。

SNSを見ていると、今の原作ファンは、「その実写版が、どれくらい原作に忠実か」と言うことを重要視しているように思う。これは良いことでもあるが、悪いことでもある。

原作の中では許されていても、実写版では許されない表現があったり、現実にないからCGでしか作ることが出来ないものがあったり。実写版に携わる者は、それらをいかに使わずに原作に寄せるかを考える。もしかしたら、そのシーンは、再現が無理だと判断されたら、実写版では丸ごと切り取られてしまうかもしれない。結果としてその部分だけ切り取ると、それは原作とはかけ離れたものになってしまう。それは、現代の技術上、そして演者が三次元に生きる人間である以上、仕方のないことだ。

きっと実写版を楽しもうとするファンに求められるのは、原作と実写版の間にあるその「違い」を、香って楽しむ寛容さなのではないだろうか。

実写版が原作と全く違うと言って怒って良いのは、原作者だけだ。

 

創作物を生み出す全ての人の権利が、等しく正しく守られる世の中になりますように。

 

 

毒親日記-「初めまして」

インターネットの海を漂う情報に溺れている私たちの中で、「毒親」と言う言葉を、今や知らない人はいないのではないだろうか。この言葉が作られたのは1989年だそうだが、この概念が日本のインターネットに浸透してきたのは、だいたいここ数年のことと記憶している。

 

あなたが毒親と聞いて初めに思い浮かぶのは、どんなイメージだろうか?虐待する親?子に依存する親?経済的援助を全くしない親?

それくらいのイメージだったら、残念なことに私の親は全く当てはまらない。きっと、私のブログを読んで「甘えるな」などと言う人もいるだろう。

だがしかし、私の親は、紛れもない「毒親」だったのだ。その記憶を、このブログにほそぼそと書いていこうと思う。

 

実はこの記録は、前に一度、実家を出る前に一冊のノートに細々と書き綴っていたのだが、彼氏と同棲する前に実家を整理していた時に片付けを手伝ってくれていた母に偶然見つかってしまい、燃やされた。

母は青白い顔でそのノートを掴むと庭に出て、庭に置いてある落ち葉を燃やすために使っていた一斗缶に入れ、チャッカマンで火をつけた。私はただボーッとしながら燃えるノートを見つめていたが、そこに悲しさだったり寂しさといったものはなく、「ああ、紙が燃える匂いっていい匂い」としか思わなかった。

ノートが灰になるのをしっかりと見届けた母は、満足げに家に入って行った。

 

 

私が書き綴るのは、あくまで私自身が私の親から摂取した毒についてであり、それはきっと、赤の他人にとっては時には薬になる、むしろ特効薬になるかもしれない。内容としては賛否両論あって然りだと思っている。

 

次の更新分からは、少しずつ、毒親の記憶を書いていく予定である。嫌な記憶であり、早く忘れてしまいたいことも沢山あるが、ここに綴ることで昇華できる気もしている。

 

そして、このブログを読んでくれた人の中には、「筆者は今も毒親に侵され続けているのか」と疑問に思う方もいらっしゃると思う。

安心して欲しい、今私はちゃんと幸せだ。私がどうやって毒親と決別したのかも、きちんと書くので、読者の中でまさに毒親によって自分の人生を奪われかけている人がいれば、参考にしてほしいと思う。

ある一人の無名な女の、毒親に食われかけた数奇な人生について。

最後までお付き合いいただけると幸いです。